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謹賀新年

あけましておめでとうございます。私は宮地地区の畑を返却して、心晴れ晴れ新年を迎えました。昨年はパートナー(妻)が体調不良で農業からリタイアしてしまい、計画が二転三転、空転、回転、反転した年でしたが、ひとまず1人で1町(1万平米)以上の畑を管理する気力と体力が損なわれ、契約途中ではありましたが8反分(8千平米)お返しすることにした、というのは前にもご報告したとおりです。

畑を返すといって「はい返します」という小作人もいるかもしれませんが、私は一応、草を刈って畑を軽く耕して、春からすぐにほかの人が作付けできるような状態で返すのが常識だと思っています。ですので、雑草などは火をつけて燃やして灰にすると畑にも良いし、片付けも楽に終わって一石二鳥というわけですが、これで小火騒ぎを起こした私はそれ以降草を燃やすわけにはいかず、結局地主様には申し訳ないのですが、そのまま雑草をトラクターで鋤きこんだのでした。それでも雑草はそのままではトラクターのロータリーに絡み付いてしまいますから、刈払機でまず雑草を処理して、氷点下の気候に何度か曝して植物の繊維を破壊してから鋤きこむのですが、それが年内に間に合うかどうかのぎりぎりで、右往左往した年末を過ごしました。

本日は畑を返して、年が明けて1日目(つまり元旦)。まだ、しみじみ思い返すような段階でもないのですが、そこはかとなく宮地地区の畑のことを思い出しています。宮地地区の畑は全部で8反弱。3つの畑で、2つが3反くらい、残りの1つが2反ちょっとの分散した立地の農地です。お借りしたときは30年から40年くらい放置してあったという3反がひとつと、軽トラがギリギリ走れるような険しい馬車道を阿蘇山へ向かった2反、そしてもうひとつは牧草地の中にぽつんと使われていなかった畑が1枚。

長年放置してあった畑は太さが30センチくらいの木が何本も生えていて、野ばらとか名前の知れないツツジのような背の低い木が密集していて、あとはツタだの葛の弦だのが縦横無尽にはびこる「荒地」でしたが、私とパートナーで3年かけて開墾し、半分以上を畑に戻したという自信作です。放置されてきた土地ならサツマイモに良いだろうと栽培してみたら予想通り、とてもおいしい芋を毎年作ることができました。とはいってももともと雑草はびこる畑でしたから、夏季の除草作業は地獄の特訓みたいなもので、とてもきつい作業でした。その重労働を思うと、うちのサツマイモを「PACAFARMは値段が高い」とかネットの評価欄で悪口言いまわる匿名の人らをピコピコハンマーで殴ってやりたい気持ちになりますが、除草剤を使わないサツマイモがどれだけ貴重なのか栽培した人間じゃないとわからないという矛盾も感じたものです。

もうひとつ思い出深い畑が、軽トラで水のない川を越えて人気のない森をドキドキしながら進むと出てくる2反の畑です。こちちらの畑も数十年放置されていたところだそうですが、地主さんが私たちに貸してくれる前に自力で開墾されたという畑で、お借りしたときには綺麗に整備されていた畑です。私はここをイチジク畑にしようと、苗木を数十本、田主丸のお世話になっている農家さんから購入して移植したのですが、この作業も思いのほか重労働。果樹の定植は地面を掘って、肥料もやって、よく混ぜて、それから埋め戻ししていくのですが、実際やるのは非常に辛いオシゴトです。それだけ苦労して定植したイチジク畑ですが、その年阿蘇山が夜中に大噴火、よりにもよって火口から5キロくらいのイチジク畑をめがけて火山灰がドカ降りして、あえなくイチジクの半分以上が枯れてしまうという憂き目に逢ったのでした。それから、そこの畑は見たくもない気分で、とうとう畑を使わなくなってしまいました。

もうひとつの牧草地にぽつんとたたずむ畑は、通りからのアクセスが良く、結局はこの畑をメインにニンニク栽培とか少量他品目野菜を栽培しました。これから畑を借りて農業を始めようとしているひとで、万が一この日記を読んできるとすれば教えますが、車道からアクセスが良い畑じゃないと日々の農業管理が大変です。麦とか大豆なら、ある程度は放っておいても育ちますが、野菜類は日々の管理が肝要なので、アクセスの良さはQoF(クオリティーオブファーミング)にとって重要なポイントなのです。ちなみにこちらの畑、イノシシの猛襲に何度か逢って損失ばかりの畑でしたが、対策としてニンニク栽培を増やした記憶があります。結果的に「阿蘇ニンニク」は味が好まれて毎年完売でしたので、悪条件も臨機応変に思考をめぐらせれば運は開けることを教えてくれた畑でもあります。

まあ、寸評程度では語りつくせない4年間の思い出が詰まった宮地地区の畑。地縁のない私たちに快くお貸ししてくれた地主の家入様に心より感謝しながら新年の挨拶に代えさせていただきます。今年は昨年とは異なる活動をするPACAFARMですが、知り合いも、そうでない方も、私どもへ愛の手を差し伸べていただければ幸いです。本年も宜しくお願い申し上げます。

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日々、反省しています。

今年いっぱいで返却する畑をきれいにしようと頑張って、野焼きを試みました。風のそんなに吹いていない穏やかな日差しのもと、こなれた手つきで枯れ草に着火して廻りました。焼畑はもう何年も経験しているので、火事になんかならない、そんな火が燃え広がることはない、そうたかをくくっていた馬鹿者の私は、その数分後には火中の人となるのでした。

着火して5分か10分か、急に風向きが変わったのです。それだけではなく、一瞬ですが、強い風が吹いた。その風にほんのわずかな火の粉が舞い上がり、隣の土手の雑木林に飛びました。雑木林の足元は笹が茂っていて、もう何年も手入れはされていないから、毎年私が敷地のぎりぎりまで刈り取って、枯れ草を寄せておいた場所。そこに火の粉が飛び移り、軽く煙が上がったのでした。

そのときは、まだ煙が立ち上った程度。私は念のために畑の火を消して廻りながら、煙の出ている土手に向かいました。が、その時。下の枯れ草が一気に燃え盛り、まさか燃えるとは思っていなかった生の笹が勢いよく燃え始めたではありませんか! 私の身長の5倍くらいの炎がめらめらと燃え始め、私は「まずい、まずい、まずい」と頭で叫びながら、必死に火の中へ飛び込んで消火を試みるも、まったく歯が立たず。なんといっても、想像以上に熱い。あれよあれよのうちに雑木林を横へと炎が燃え広がって行き、どうしようもないことになってしまったのでした。

大問題になる前に自力で解決しようと頑張りましたが、これ以上頑張ると本当の大問題になりかねない。あきらめて119に電話をして、それから数分で3台の消防車がやってきました。途中、頭の中が真っ白だった私の記憶には、この後は火が消えているシーンしか思い出せません。ということで、多くの消防隊員の皆さんに来てもらえたおかげで、火は無事に鎮火。杉木が何本か焦げた程度ですみましたが、一歩間違えていたら阿蘇山大火事の大ニュースになるところでした。いままで生きてきて、消防の世話になったのは初めての経験です。これまで消防なんて意識したことがほとんどありませんでしたが、今回の経験で消防隊員、消防団の皆さんに足を向けて寝られないほど感謝の気持ちでいっぱいです。火をなめていたとか言われれば、返す言葉もございません。ごめんなさい!

ただとにかく、今回火の怖さを思い知ったのと同時に、農業って大変だなあとつくづく感じたのでした。このぼや騒ぎで、土手の地主さんから大目に見ていただきお許しいただけたのには、頭が下がるばかりです。やさしい地主さんで、ほんとうに良かったです。もし許していただけなければ損害賠償になっていたことは確実でしょう。私の立場で言うのははばかられますが、いうなれば「事件」にならなかったからこそ、大目に見てもらえたのでしょう。もし消防のみなさんに消していただけなければ、火は燃え広がって近隣の倉庫や場合によっては住宅などに火が広がれば死者も出たかもしれません。サツマイモを売ったお金では、とても賠償しきれない額になっていたことでしょう。

もう、野焼きはしません。あんな火の広がり方をするなんて、怖くて畑に火をつけられません。しかし、畑は綺麗にしないと返せません。結局、枯れ草を一箇所に手で集めるしか方法はなく、せっせと刈払機で草を切ったり集めたり・・・そんなこんなで奮闘・努力の甲斐もなく、ただただ反省の毎日を過ごしている状況です。

近況報告でした。

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地方移住

私も気がつけば東京から移住して7年くらい経つのですが、流れに流れて阿蘇に漂着したような移住だったことを遠い昔のことのように感じる今日この頃。思い返せば阿蘇では畑がみつからず、近隣の大津や菊池へ再移住を検討して不動産物件を何度も見に行ったものです。地方へ移住するというのは、まあ無制限に資金があればそんなに大変なことではないと思います。土地だけ買って、あとは家を建てるなり開墾して畑にするなり自由なものです。問題は、たいして資金がないのに理想の移住地を見つけようとしたときに、まあ失敗というかトラブルというか変なことに巻き込まれるものです。

ある日、菊池市の山奥に農地と山林の売り物件があるというので見に行ったのですが、その不動産を相続したご年配の息子さんというのが物件を案内してくれることになりました。周辺は何もないいわゆる過疎地なのですが、農地と屋敷がセットで350万円。まあ、プリウス1台分くらいで移住ができてしまうという価格なのですが、安いのにはわけがある。

待ち合わせた時間に売り物件へ出向くと初老の息子さんが案内してくれるわけですが、家屋は古民家というほど立派ではないものの、大きな倉庫や作業場もあって農業をやるにはなかなか良さそう。「ここで子供時代過ごしよりましたが、戻ってきたいとはいっちょん思わんですな」と息子さん。話を聞くと子供時代は農家の手伝いをさせられて、こんな田舎から逃げ出したくて一生懸命勉強したのだそう。「正直な話、こことは縁を切りたいんですヨ」と語る息子さんの身なりは良いし、ピカピカのプリウスが都会暮らしを満喫されている雰囲気が出ていました。

案内されるまま山道を進んでほどなく山林の中腹には栗の木がたくさん、畑も段々畑ではあるけれども5反以上あって茶畑もついている。立派な桜の木なども植わっていて、さぞ春には満開の花びらが拝めることだろう……と木の下へ目をやると大きな祠? 近づいて見てみると戦争死没者慰霊碑とか書いてあって、たぶん戦地へ赴きお亡くなりになった英霊たちを奉っているかなにかなのでしょう。で、どうやらそこも物件に含まれるのだそう。「戦死した親戚です。できれば毎年供養してやってください」と相続人の息子さん。戦争で若くして逝った英霊たちですから気持ちの中では敬禮ですけれども、毎年供養となれば話は別。責任が重いです。

すっかり気がめいってしまった私はそのまま山林を散策していたら、竹藪の向こうにおびただしい数の墓石を発見。腐食して崩れつつある墓標を見てみると皆同じ苗字。いわゆる相続人の息子さんの姓。まるで横溝映画のワンシーンみたいな景色に腰を抜かしそうなりました。この墓について息子さんに訊ねたら、いわゆる一族の墓地なんだそうで「あれも、よければ毎年供養してやってください」と。いやいや、自分の先祖は自分で供養してあげてください。私は菊池市から逃げるように阿蘇へ車を走らせたのでした。

安易に地方移住を考えている人がいるとすれば、その土地の歴史を意識しながら物件を探しましょう。

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玉葱は干して、倍。

最近知ったのですが、玉ねぎの皮をむいて、天日に干すだけでケルセチンが数倍になるんだそうです。3日も干せば3倍、1週間で5倍程度に増えるとか。で、それくらい干したところで、玉ねぎの食感も風味も変わらないから、天日に干せるならば干さなきゃ損。

ということで早速ネットに入れて干しています。ケルセチンが増えたかどうかは味ではわからないのですが、ケルセチンは腎臓に良いらしいので、クレアチニン値が高い我が家の腎臓患者に食べさせようと思っています。

阿蘇の別荘地にお住まいの知り合いが玉ねぎの皮マニアで、それを干してお茶にして飲み続けたら「老眼がなおちゃったんだよ」と言っていたのを思い出しましたが、たしかにその方は老眼なしで書類を読んでいらした。七十歳を越えているのに、いまかんがえると玉ねぎパワーかも? ちなみに、その方は私よりも元気数十倍。

それにしても太陽に干すというのは、うちの黒ニンニクでもやっているのですが、当初の目的は味がよくなるからだったのですが、もしかしたら知らない間に栄養成分が倍増していたりするのかもしれません。ラッキー。

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農地を借りるということ

先日よりお伝えしていますが、当農園の共同経営者である妻が国指定の難病になってしまい、いまは自宅療養していて順調に回復軌道に乗っていますが、農作業をするほどに回復は見込めないので(世間に思われているよりも農作業は重労働)、事業計画を見直しています。現在1町(1万平米)の畑をお預かりしていますが、当面そのような面積を管理するのが難しく、宮地地区の畑はすべて返却することにしました。

この畑は、話せば長くなるような人の縁でお借りすることができた場所で、運が良かったということだけでは片付けられない、言うなれば運命的に管理させていただくことができた農地です。ここの畑をお貸しいただけたおかげで、にわかに「農家」を名乗ることができましたし、実際「農業」と呼べる規模で栽培できたのも、この農地があってこそでした。「農家になりたい」と何も知らない都会育ちの私に「農業とはなんぞや」を教えてくれたのも農業大学校なんかではなくこの畑ですし、阿蘇山の火山灰を浴びたのも野生動物の猛襲に遭ったのもこの畑、思い出ばかりです。

農地を返却するにあたって、私が気づいたこと。それは、農地を借りるということは、その地主の家族になるということです。先祖代々の畑を耕させてもらうということが、単に畑の貸し借りを越えてその家族の一員になるようなものなのだと、畑を返却する段になってようやく気がついたのです。それまでは「遊休農地を管理する」という点でギブアンドテイクみたいな気持ちでいた自分が恥ずかしくなりました。移住当初はそこらに放置された空き地を見ては「ちょっと貸してくれればいいのに」と思っていましたが、農地は単なる貸し借りの話ではなく、地主の家族の思い出や歴史を預かるようなものだと、いまさら理解しました。

私を取り巻く環境が変化しているのだから、変化はやむをえないです。ただ、変化するときにひとつまた気づくことがあって、地主さんが私に畑を託してくれたことに感謝しつつ、「農地を借りるということ」の意味や農地法に込められた想いなどを理解したような気がしました。ちなみに写真は畑をお借りする前の2014年、地主さんに現地の案内をしていただいたときのものです。