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地方移住

私も気がつけば東京から移住して7年くらい経つのですが、流れに流れて阿蘇に漂着したような移住だったことを遠い昔のことのように感じる今日この頃。思い返せば阿蘇では畑がみつからず、近隣の大津や菊池へ再移住を検討して不動産物件を何度も見に行ったものです。地方へ移住するというのは、まあ無制限に資金があればそんなに大変なことではないと思います。土地だけ買って、あとは家を建てるなり開墾して畑にするなり自由なものです。問題は、たいして資金がないのに理想の移住地を見つけようとしたときに、まあ失敗というかトラブルというか変なことに巻き込まれるものです。

ある日、菊池市の山奥に農地と山林の売り物件があるというので見に行ったのですが、その不動産を相続したご年配の息子さんというのが物件を案内してくれることになりました。周辺は何もないいわゆる過疎地なのですが、農地と屋敷がセットで350万円。まあ、プリウス1台分くらいで移住ができてしまうという価格なのですが、安いのにはわけがある。

待ち合わせた時間に売り物件へ出向くと初老の息子さんが案内してくれるわけですが、家屋は古民家というほど立派ではないものの、大きな倉庫や作業場もあって農業をやるにはなかなか良さそう。「ここで子供時代過ごしよりましたが、戻ってきたいとはいっちょん思わんですな」と息子さん。話を聞くと子供時代は農家の手伝いをさせられて、こんな田舎から逃げ出したくて一生懸命勉強したのだそう。「正直な話、こことは縁を切りたいんですヨ」と語る息子さんの身なりは良いし、ピカピカのプリウスが都会暮らしを満喫されている雰囲気が出ていました。

案内されるまま山道を進んでほどなく山林の中腹には栗の木がたくさん、畑も段々畑ではあるけれども5反以上あって茶畑もついている。立派な桜の木なども植わっていて、さぞ春には満開の花びらが拝めることだろう……と木の下へ目をやると大きな祠? 近づいて見てみると戦争死没者慰霊碑とか書いてあって、たぶん戦地へ赴きお亡くなりになった英霊たちを奉っているかなにかなのでしょう。で、どうやらそこも物件に含まれるのだそう。「戦死した親戚です。できれば毎年供養してやってください」と相続人の息子さん。戦争で若くして逝った英霊たちですから気持ちの中では敬禮ですけれども、毎年供養となれば話は別。責任が重いです。

すっかり気がめいってしまった私はそのまま山林を散策していたら、竹藪の向こうにおびただしい数の墓石を発見。腐食して崩れつつある墓標を見てみると皆同じ苗字。いわゆる相続人の息子さんの姓。まるで横溝映画のワンシーンみたいな景色に腰を抜かしそうなりました。この墓について息子さんに訊ねたら、いわゆる一族の墓地なんだそうで「あれも、よければ毎年供養してやってください」と。いやいや、自分の先祖は自分で供養してあげてください。私は菊池市から逃げるように阿蘇へ車を走らせたのでした。

安易に地方移住を考えている人がいるとすれば、その土地の歴史を意識しながら物件を探しましょう。

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玉葱は干して、倍。

最近知ったのですが、玉ねぎの皮をむいて、天日に干すだけでケルセチンが数倍になるんだそうです。3日も干せば3倍、1週間で5倍程度に増えるとか。で、それくらい干したところで、玉ねぎの食感も風味も変わらないから、天日に干せるならば干さなきゃ損。

ということで早速ネットに入れて干しています。ケルセチンが増えたかどうかは味ではわからないのですが、ケルセチンは腎臓に良いらしいので、クレアチニン値が高い我が家の腎臓患者に食べさせようと思っています。

阿蘇の別荘地にお住まいの知り合いが玉ねぎの皮マニアで、それを干してお茶にして飲み続けたら「老眼がなおちゃったんだよ」と言っていたのを思い出しましたが、たしかにその方は老眼なしで書類を読んでいらした。七十歳を越えているのに、いまかんがえると玉ねぎパワーかも? ちなみに、その方は私よりも元気数十倍。

それにしても太陽に干すというのは、うちの黒ニンニクでもやっているのですが、当初の目的は味がよくなるからだったのですが、もしかしたら知らない間に栄養成分が倍増していたりするのかもしれません。ラッキー。

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農地を借りるということ

先日よりお伝えしていますが、当農園の共同経営者である妻が国指定の難病になってしまい、いまは自宅療養していて順調に回復軌道に乗っていますが、農作業をするほどに回復は見込めないので(世間に思われているよりも農作業は重労働)、事業計画を見直しています。現在1町(1万平米)の畑をお預かりしていますが、当面そのような面積を管理するのが難しく、宮地地区の畑はすべて返却することにしました。

この畑は、話せば長くなるような人の縁でお借りすることができた場所で、運が良かったということだけでは片付けられない、言うなれば運命的に管理させていただくことができた農地です。ここの畑をお貸しいただけたおかげで、にわかに「農家」を名乗ることができましたし、実際「農業」と呼べる規模で栽培できたのも、この農地があってこそでした。「農家になりたい」と何も知らない都会育ちの私に「農業とはなんぞや」を教えてくれたのも農業大学校なんかではなくこの畑ですし、阿蘇山の火山灰を浴びたのも野生動物の猛襲に遭ったのもこの畑、思い出ばかりです。

農地を返却するにあたって、私が気づいたこと。それは、農地を借りるということは、その地主の家族になるということです。先祖代々の畑を耕させてもらうということが、単に畑の貸し借りを越えてその家族の一員になるようなものなのだと、畑を返却する段になってようやく気がついたのです。それまでは「遊休農地を管理する」という点でギブアンドテイクみたいな気持ちでいた自分が恥ずかしくなりました。移住当初はそこらに放置された空き地を見ては「ちょっと貸してくれればいいのに」と思っていましたが、農地は単なる貸し借りの話ではなく、地主の家族の思い出や歴史を預かるようなものだと、いまさら理解しました。

私を取り巻く環境が変化しているのだから、変化はやむをえないです。ただ、変化するときにひとつまた気づくことがあって、地主さんが私に畑を託してくれたことに感謝しつつ、「農地を借りるということ」の意味や農地法に込められた想いなどを理解したような気がしました。ちなみに写真は畑をお借りする前の2014年、地主さんに現地の案内をしていただいたときのものです。

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きぬかつぎ(里芋)

里芋栽培にはいろいろな作型があるのですが、私のやり方はマルチビニールも使わず溝を掘って元肥と種芋を交互に並べていくジャガイモ式の栽培方法でやっています。この栽培の利点は、うねたてマルチ張りの工程が不要で、土寄せと同時にタイミングよくかつ絶妙な施肥感で追肥できることにあります。いっぽう欠点はマルチをしないので、手作業で雑草を定期的に取ってやらないとなりません・・・夏の炎天下にこの中腰作業は、ほとんど独裁国家の懲役刑並みの過酷労働です。しかし、手間をかけた分はしっかり美味しさで応えてくれるのが植物ですから、いわずもがな里芋もこの作型が一番美味しいと思っています。

というわけで本当のところ今年は里芋を栽培しないつもりだったのですが、農業大学校時代の同級生でもある西原村の有機農家さんがとても良い方で「そんなこと言わずに栽培しなっせ」と有機種芋をたくさん分けてくれたので、なんだかんだ本年も里芋栽培をしていたというわけです。今年は農繁期に家庭の事情(病気)で多忙を極めましたが、どうにか管理をしきったかな。栽培しているときには苦しく、不満も多い里芋栽培でしたが、こうして収穫してみるとやっぱり嬉しいです。それに味を追求した栽培だけに、泥臭くなく美味しい。

石川早生という種類の里芋で、関東では「きぬかつぎ」という蒸して食べるのが小粋な高級品ですが、こちら熊本では里芋といえば「煮るもの」と相場が決まっているようで、蒸したりせず「おでんの具にする」と聞いたときには文化の違いを感じたものでした。里芋のおでん・・・それって、ただの里芋汁じゃん。まあ、ことあるごとに「里芋を蒸して、きぬかつぎ」と吹聴してまわってきたおかげか、ちかいうちに「きぬかつぎ」名のパッケージ商品が九州圏で販売される予定です(私のビジネスではありませんが)。

写真は、規格外の廃棄里芋を自家消費で「きぬかつぎ」にしたところです。規格外でも、味は高級料亭に負けません。塩をつけて食べます。これにうまい日本酒があれば、なお良い感じです。贅沢。

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ニンニク栽培準備

慣行のニンニク栽培は種を農薬の粉で白くなるほど消毒します。うちは農薬を使わないので、50℃くらいの温湯消毒を数十分ほど施します。

種ニンニクをお湯で温めることで病原菌やカビ胞子、また小さな虫などを死滅させることができます(たぶん)。やるのとやらないのとでは、翌年の収穫直前で結果が全然違います。

この方法で、もう何年もニンニクが病気になったことはありませんから、農薬使っている人にも試してほしい消毒方法です。

50℃のお湯に浸して種が死んだりしないのか、と思う人もいるかもしれませんが、いままで大丈夫だったので私は大丈夫と思います。